《大学中枢を担う理事、副学長たちの知の荒廃、モラルの荒廃を問う》(2016年6月18日)


これは研究不正では?

 本学の研究の在り方に関わる、看過できない事態が生じています。本学の学是にかかわることであり、研究と教育の未来に関わることですので、ここに問題提起します。

 それは、大学院修士課程の院生の修士論文を、そのまま連名で、自分たちの論文として発表している、理事、副学長たちがいるという問題です。

 平成17~23年度の修士論文の抄録として学内で発表されたものがあります。もちろん執筆者は院生であり、院生の単著です。ところが、それと全く同一内容のものが、平成20~24年の学内紀要に、院生と教員3名の共著という形で発表されました。合計7本の論文が該当します。

 A氏は6つの論文、B氏は7つの論文、C氏は2つの論文をそのような形で発表しています。

 信じられない、なぜこんなセコイことを、と赤面の至りですが、ここには研究不正、業績の捏造につながる、大学の教育研究に関わる根本問題が孕まれています。

予備審査しただけで、「不正なし」と突き返す

 この問題は、審査委員会を開いて、厳密に審理されるべきものです。しかし、訴えに対して、楢崎理事・副学長、寺尾副学長(以上学内委員)、顧問弁護士・前経営協議会委員の春山弁護士、日野九州大学副学長(以上外部委員。ただ、春山弁護士は告発を受けた副学長らとともに本学の経営に長く関与してこられ、「第三者」とは言えないでしょう)の4人は、予備審査と称して4人で協議し、「院生の了解を得ているから問題ない」と突き返してきました。

しかし、論文の内実は・・・

 院生の単著(修士論文抄録)に、複数教員を加えて共著(紀要論文)にしているのですが、しかし両者は、一字一句まったく同じです。単著と共著が同一ということは、論理上、ありえないことですし、また、まずモラル上、許されないことでしょう。

 ある論文の英文の要約を見ますと、大学院生の修士論文抄録は単独ですから、英文の要約の主語は、「I」となっています。共著として紀要に掲載された論文は、複数で書かれたものですから、主語は「We」とならなければならないはずです。ところが全く同じ「I」となっています。そして、明らかに間違っている英語のタイトルなども、共著において訂正されてはいません。

 そもそも修士論文の段階ですら、日本語や英語の明らかな間違いがあり、指導教員たちが真摯に修士論文指導を行っていたか疑わしく思えます。

新しい知見を加えて発表した形跡なし

 院生の論文に対して、指導教員たちが共に議論し、新しい知見を加えて発表したのなら、問題はないでしょう。しかし、院生の論文と一字一句違っていない論文を、指導教員たちが共著として発表しているのです。共著にするならば、オリジナルな観点や新しい知見が更に加わってしかるべきものですし、英文の誤り、意味の通じない英文も、しっかり訂正されてしかるべきでしょう。そのどちらの痕跡もありません。教員たちが一体いかなる貢献をしたのか、まったく不明ですが、それは不問のまま「問題ない」とされたわけです。

春山弁護士、日野九州大学副学長の名誉に関わるのでは

 予備審査には、弁護士界の重鎮である春山弁護士が入っているのですから、法的には問題なしと突き返されれば、それなりの重みあると受け止め方をされるしょう。

 「適切ではないが、違法ではない」とは、都知事をめぐる疑惑で弁護士の言った言葉として有名になりましたが、予備調査委員会の外部委員のお二人は、研究不正疑惑に対して「適切であり、問題なし」と言われています。

 本当にそうでしょうか。私たちは少なくとも不適切であると考えています。しかし大学の研究と教育に携わる者として法的以前の問題として、何より大学の研究倫理としてあってはならないことです。いわんや教員養成大学として、将来教員となり、生徒を指導する立場になる学生を教えている大学ならなおさらのことです。

 執行部を担う3人の事例、それを是認する春山弁護士と日野九大副学長の態度とその良心に対して、根本的なところから深い疑念を覚えます。

研究活動の正常かつ高い在り方を求めて

 執行部は、今回の疑惑に対しては、予備調査を終えると同時に「問題なし」との見解を大学ホームページで公表するなど、極めて強気で開き直っています。まるで不正を指摘された当初の舛添都知事のようです。見識を示すべき外部委員の方たちも、理不尽ともいえる執行部の先兵となっている姿に私たちは唖然、慄然としています。

 この問題は、決してゆるがせにはできません。日本学術会議の指針、文科省研究振興局の考えなど、客観的な基準にしたがって検討し、福岡教育大学における教育研究の正常な在り方を追求していきたいと思います。